ノストラダムスとラブレーの往復書簡
2007-05-12


フランソワ・ラブレーは、フランス・ルネサンスにおける偉大なユマニストとしてその作品は今も読まれている。日本ではラブレーといえば渡辺一夫氏であるが、最近は宮下志朗氏の新訳も現れている。ラブレーについては改めて詳しく紹介する必要もないほど、フランス文学の専門家による本も数多い。ノストラダムスの伝記を読むと、この大巨人との係わりについて探ろうとしたものが見られるが実証的な研究は皆無であった。1530年頃両者ともに名門モンペリエ大学に在籍していたので恐らく顔を合わせたことはあったろう、という程度のもの。尤もラブレーのほうがノストラダムスよりかなり年上で予言集が出版された1555年にはすでにこの世を去っていた。

ノストラダムスが暦書を刊行し始めた1550年頃、ラブレーはまだ未完成の『第四の書』を執筆していたと思われるが、作品のなかにノストラダムスを思わせるような記述は見られない。もしラブレーが暦書あるいは予言集の評判を見聞きできたとしたら間違いなくそれをパロディとして作品に盛り込んだはずだ。これまでノストラダムスとラブレーの直接の関係に言及した研究書はなかったが、蔵持不三也著『シャルラタン』306頁にこう記されている。
"リヨンの県立古文書館にはそんな二人の往復書簡が保管されているというが、筆者は未見"これは別の本にも書いており、かなり自信のある(?)情報であるらしい。

ノストラダムスが『化粧品とジャム論』で交友のあった医師にアントニウス・サポルタの名前を挙げている。サポルタはラブレーの親友で彼を介してノストラダムスとラブレーが友情を結んだのだという。いったいこの話のソースはどこから来ているのか。できればフランス文学の専門家にフォローしてほしいものだ。
[ノストラダムス]

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