2010-01-26
グーグルブックで検索をかけてみると、19世紀初めの百科事典にノストラダムスの項目が載っているのを見つけた。ひとつは"Bibliotheca britannica"(ビブリオテカ・ブリタニカ)で1824年の刊行、もうひとつは"The London encyclopaedia"(ロンドン・エンサイクロペディア)で1829年の刊行である。フランス語の百科事典はこれまでも調べたことがあるが、英国の百科事典にノストラダムスがどういった形で記述されたか興味深い。さっそく該当部分をDocuworksのライブラリに落とし込んだ。英国のノストラダムス解釈者といえば1672年に予言集の英訳本を著したテオフィルス・ガランシェールが有名である。その後も1689年W・アトウッドの"Wonderful predictions of Nostradamus"、1691年サミュエル・クロスの"The Predictions of Nostradamus Before the Year 1558"、1715年D.Dの著作が知られているが生憎未見である。
ビブリオテカ・ブリタニカの711頁にはセザール、ジョン(ジャン)、ミシェルの三人の名前がエントリーされている。最初これを読んでアレっと思ったのが、セザールが後者(ミシェル)の弟、ジャンが後者の息子となっている。著者のロバート・ワットは明らかにセザールとジャンを取り違えている。本文については、セザールがプロヴァンス史の年代記を出版したとあるし、ジャンは古いプロヴァンスの詩人の書を書いたとしているので一応合っている。ミシェルの項では本人の著作を列記している。予言集について、1568年、1572年が八つ折版、1577年が16折版との記載が見られる。他にも1572年の刊行に触れたものがあるが、おそらく1568年の再版でギナールのいうP16=B版を指しているのだろう。1577年版というのははっきりしないが、ギナールのいうP18かP19に該当しているのかもしれない。記事の最後には、冒頭に挙げた英国で出版されたノストラダムス本がリファレンスとして挙げられている。
ロンドン・エンサイクロペディアのほうはミシェルしか載っておらず、その分、分量も多い。ノストラダムスの生まれた所を「アヴィニョン教区のサンレミ」としている。ブリタニカでは単に「アヴィニョンのサンレミ」と書かれており、わかりづらい点を修正した跡が伺える。伝記の部分は旧説に基づいてまとめられているが、1555年に出版された予言集については七つのサンチュリを含むとしていたり、1558年に完全なミリアードを出版したという不正確な記述も見られる。その他の著作では、ガレノス釈義を1552年としているミスがある。英国では19世紀の終わりにチャールズ・A・ウォードの『ノストラダムスの神託』が日の目を見て、ノストラダムスの名前がポピュラーになったと思われる。
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