今となってはすっかり伝説の人となってしまった感のある五島勉氏。御年88歳になられたそうだがいまだにご健在なのはなによりである。1973年、当時の終末ブームに便乗する形で世に送り出された『ノストラダムスの大予言』は、瞬く間に大ベストセラーとなった。五島氏は当時からいろいろな雑誌の取材インタビューを受けて本を書くことになった経緯について語ってきた。最近では文春オンラインで「
伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」」 でノストラダムスとの最初の係わりについてこう述べている。
ちょうどその頃ですよ。古本屋かどこかにあった誰かのエッセイの中に、ノストラダムスの4行詩の訳文が1、2篇紹介されているのを見つけたんです。「あっ、これはどこかで聞いた名前だ」と、ビビッときた。それから、週刊誌の仕事をしながら、少しずつ調べるようになりました。
誰かのエッセイというのは、時期的なものと過去のインタビューからして澁澤龍彦氏の「星位と予言」(1961)と思われる。4行詩は1-35と3-55が翻訳されており、五島氏の言葉に一致している。もっともこのエッセイの最後に前兆集141番(旧)も『百詩篇』と誤った紹介がされていた。しかし、少しずつ調べるようになったというは一寸信じられない。1973年に泥縄式に英語のノストラダムス本を知人から借用していたことから記憶のすり替えがあると思われる。さらに初巻の最後に予言を回避できる方法を書いたという弁明はもう何回も目にしたが、今回新たにこんなことを言っている。
だけど、私がこの本を書くとき、ノンフィクション・ミステリーという手法に挑戦したことで誤解を生んでしまった。ミステリーが最後にどんでん返しをするように、初めに全滅するんだと書いておいて、最後になって人類が考え直して逆転して、部分的な破滅で済むんだと、それに向かって努力しなければならないと書いたんです。だけど、ここのところをみんな読まないんです。
ノンフィクション・ミステリーに挑戦したというのは初耳である。そもそも『ノストラダムスの大予言』はノンフィクションなのだろうか。かつて山本弘氏の『トンデモ ノストラダムス本の世界』などによってノストラダムスに関してフィクションの部分が多いと批判されてきた。しかし少し視点をずらしてみると、五島氏は戦争の危機や公害といった当時の社会問題を取り上げたという点で自身はノンフィクションと認識していたのだろう。その証拠に『ノストラダムスの大予言』は予言解説書ではなく文明批評シリーズの一冊とされていたのである。(『幻の超古代帝国アスカ』の本の帯による)
こういった手法は五島氏の独自のものだったのか。そのヒントとなり得る1冊の本がある。井上ひさし氏の『完本 ベストセラーの戦後史』は自分の生まれる前の時代から子供時代の世の中の状況とそれと連動して売れたベストセラー本について丹念に書かれている。まさに「体験的読書論の傑作」で何度読んでも面白い。もちろん『ノストラダムスの大予言』もそのなかで取り上げられているのだが、実は他の本にも五島氏を彷彿させる手法が見られるのだ。井上氏は「マクルーハンの世界」のなかで筆者の竹村健一氏のインタビュー記事を引用している。
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