『昭和・平成オカルト読本』のノストラダムス関連についてとりとめのない雑感を書いたところ、私の疑問点についてsumaruさんが
ノストラダムスの大事典 編集雑記で裏話も含めて丁寧にコメントしてくれた。五島勉著『宇宙人 謎の遺産』はテーマが古代宇宙飛行士飛来説をベースにしたものでノストラダムスに関しては
「十字架→神」への批判者、ノストラダムス (212-215頁)の実質3頁ほどしか触れられていない。内容は詩百篇3-77について高木彬光氏に対するコメントに過ぎない。手元にあるこの本の後ろ扉に昭和50年の「12月21日クリスマスのプレゼント」のメモが見つかった。
当時はエーリッヒ・フォン・デニケンの「神々の戦車」(UFOと宇宙 コズモの連載記事)に触発されて何度も読み返した記憶がある。それなのに
ノストラダムスサロンの
文献書誌から抜けていたのは今更ながら不覚であった。sumaruさんの作成した表1 のタイトルはノストラダムス関連書のベストセラーリスト(『出版年鑑』)とあるので出版年鑑の編者が誤って含めたものを転記したのではと推測したのだが「
あくまでも私自身の調査と判断に基づくものです。」というのには正直ビックリした。また「
含めた判断自体は間違っていなかったと今でも思っています。」ともおっしゃっている。
そうであればなぜ
日本の関連書刊行年順に含めていないのか、明らかに整合が取れていない。この場合、ノストラダムス関連書の定義はいろいろあってもいいし、そこに異議を唱えるつもりはないが、著者のなかで統一されていないこと自体、読者を混乱させるのではないだろうか。実際、同じ記事の中でノストラダムス関連書の定義が異なることになってしまう。(『昭和・平成オカルト読本』117頁と125頁)そのため「
そのあたりの採録基準の違いについて、もう少し詳しい注記」というよりは、商業出版では読者がシンプルに理解しやすい形が望ましいというのが個人的な感想である。
さて黒沼氏が「ノストラダムスの日本人最初の紹介者」という話についてだが、そもそも黒沼氏の人物伝のなかで相当な分量を割いて取り上げるほどのものかという気がする。確かにsumaruさんが書かれたように本格な評伝という意味では渡辺一夫氏が最初というのに異論があるはずもないし、
黒沼健氏のノストラダムス物語にもそう書いている。今思うと、ここでポイントとなるのは「日本で最初にノストラダムスを紹介した」の定義とは何ぞやという気がする。紹介したというのを、どこに(刊行本や雑誌、新聞等)どの程度の分量で書かれたかを見るのがひとつの目安となろう。
例えば簡単な評伝であれば注釈の形だが、1928年に青木昌吉氏が紹介している。(
ノストラダムスの光
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