ジャン・シャルル・ド・フォンブリュヌの本名
2007-11-04


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ノストラダムス雑記帳に「志水一夫『トンデモ・ノストラダムス解剖学』へのツッコミ・おまけ」がアップされている。これを読むまで『トンデモ超常レポート傑作選』という本が出ていることすら全く知らなかった。近所の紀伊国屋書店に立ち寄ったところ、1冊置いてあるのを見つけた。今更、と学会の本とも思ったがペラペラめくってみると、ノストラダムスに言及している箇所や今はなき『UFOと宇宙』の裏話などもあったので購入してみた。「6章終末予言レポート世界大予言年表」は、これまでも何度か目にしたが今回改稿したものである。

「おまけ」で突っ込みの入っているフォンブリュヌの本名に関しては年表の3797年の項目にある。確かに「ジャン・ドゥ・ヴィシャール」と読める。ちなみに『AZ』ではこの項自体がなく『予言・予知・占いファイル』117頁では本名の注記は入っていない。まあ本筋に関係ないこともあり、これまで気にかけたこともなかったが今回フォンブリュヌ関連の手元の資料をすべて調べてみた。フォンブリュヌの自著のなかでは本名に関する言及はない。日本語で読める本では『新釈ノストラダムス』と『ノストラダムスの大誤解』に触れられているのみ。手元で確認できる資料としては1976年に出たフォンブリュヌ博士の『ノストラダムスは真実を語った』である。冒頭の父親の伝記は息子のジャンが書いている。

そこには「ツッコミ」にもあるようにMon pere Max PIGEARD de GURBERT(わが父マックス・ピジャール・ド・ギュルベール)とあり、注釈にはピジャール・ド・ギュルベール家の絶えてしまった分家の名前から取った筆名とある。試しにインターネット上で検索してみると系図の詐称というサイトにフォンブリュヌ本人の書き込みがある。そこには本名がJean Pigeard de Gurbert(ジャン・ピジャール・ド・ギュルベール)とある。おそらくこれが正しいのだろう。本人の弁によれば、16世紀から続いている家系図を所有しているので詐称のはずがない。どうしてペンネームにフォンブリュヌを用いたのであろうか。これも推定しうる資料に心当たりがある。

『歴史家、予言者ノストラダムス第二巻』51頁に遠い先祖であるジャン・ルイ・ド・フォンブリュヌの位階、日付は1747年7月7日の国王ルイ十五世の自筆の署名付、がある。こういう文書が残っていることからしてフォンブリュヌ家は世間で有名な名家だったのだろう。それにあやかろうと父マックスがペンネームに用いたのを息子ジャンも倣った。この本には献呈に兄弟の名前が添えられており、画家のフランソワ・ギュルベールの名がある。兄弟のほうは本名のギュルベールを用いていたようである。
[ノストラダムス]

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