予想できない未来の出現
2008-05-31


荒俣宏著『奇想の20世紀』を読んでいる。人々が未来予測を意識し始めたのはいつ頃からだったのだろうか。ここでいう未来というのは、古代ギリシャの神託やノストラダムスのような予言を指すのではない。科学技術の進歩に基づいた、現在の延長線上にある実現可能な未来の予測である。こうした「未来」の夢は19世紀末から20世紀初めに人々の大きな関心事になった。それが具体化されたのがロンドン、パリなどで開催された万国博覧会であるという。この本では1900年のパリ万博の貴重なカラー資料をふんだんに引用し、当時の雰囲気を味あわせてくれる。現時点での情報から100年先の未来予測を行うのはほとんど不可能に近い。

国際的なグローバル化とテクノロジーのスピード化は10年先の予測さえも困難にさせる。とはいえ、19世紀後半に未来イメージを小説として表現したジュール・ヴェルヌやアルベール・ロビダらの先見性は素晴らしい。20世紀に入ってまもなく「破滅」というキーワードによりバラ色の未来にほころびを見せ始める。1910年に地球に訪れるハレー彗星と衝突することで人類は破滅するという風説が広まって、世界中はパニックに襲われた。こうした彗星の恐怖をリアルに取り込んだ小説がカミーユ・フラマリオンの『此世は如何にして終わるか』(1911)である。この本は日本で初めてノストラダムスの名前を紹介したとしても知られている。

天文学者のフラマリオンは、彗星衝突を機に変貌した二十五世紀の光景を具体的に記す。そこではヨーロッパ合衆国なるものが成立した後、文化の中心が地中海から大洋洲に移っていき28世紀の頃はフランス消滅、ドイツは32世紀頃、イタリアは29世紀に同じ運命に陥り英国のみが発展を遂げる。彗星が衝突することで文明は自滅していく・・・。必ず発展する未来という常識に対して予想できない未来が出現したのである。昨今の不透明な世界情勢のニュースを目にするとき、決して私たちに好都合な未来のみが待ち構えているわけではないと強く感じる。
[読書]

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