マックス・ド・フォンブリュヌの著作
2008-08-04


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ノストラダムスRGのメーリングをチェックするとベルケルの新作記事のニュースレターが入っている。タイトルが「マックス・ピジャール・ド・ギュルベール、通称ド・フォンブリュヌ博士に関する情報」という記事である。ド・フォンブリュヌ博士は1980年代にフランスにノストラダムスブームを引き起こしたジャン・シャルル・ド・フォンブリュヌの父親にあたる。孝行息子が父親のノストラダムス研究を引き継いだ形である。『新釈ノストラダムス』によるとマックスは1934年に予言集の1605年の版本を見知らぬ人から送られて四行詩の翻訳を進めていった。最初の研究は1938年に発表された『ベールを脱いだノストラダムスの予言、アンリ二世への献呈書簡』という著作である。

手元の本にも1938年とあるのだがベルケルの記事には1937年と1939年の二つの版が示されている。そして1938年にミシュレ刊の『ミシェル・ノストラダムス師の予言、釈義と注釈』が出版された。手元には1939年版がある。そしてこの本が1940年に検閲命令が出て販売禁止となり押収されたらしい。1938年以降のフランスのノストラダムス本には大概マックスの著作に対して言及している。息子のシャルルは、―父親の本に対する賛辞というかいささかお世辞ぽいが―トゥシャール、ミューレーズ、モントレー、ルーヴィエら著名なノストラダムス研究家のコメントを列挙している。しかしそれほどの内容かといえば、実はエリザベート・ベルクールなどは『裏切られたノストラダムス』で直感的解釈を酷評している。

トゥシャールのマックスに対する評価にはこう書かれている。「今日では、その偏見と主観性の強さのために異議を唱える者もいるが、とにかく彼は直観を非常に重視し、その結果感情的な見方の強い流派では最大の大家として扱われている。」こうした解釈のやりかたは息子のシャルルにもたっぷりと受け継がれている。さらに大量のノストラダムス本を世に出したのも偉大な父を見習ったのだろうか。
[ノストラダムス]

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