Prognosticationの訳語に関する雑感
2009-08-02


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本ブログでPrognosticationに関する記事を書いたところ、sumaruさんからトラックバックをかけていただいた。その場の思いつきのメモに対し、いつもながらの綿密な調査に基づく重厚な記事には本当に頭が下がる思いである。いま出張中の大阪のホテルでこれを書いているので手元に資料を参照することができないが、少しコメントしてみたい。まず誤解のないように、単語としてのPrognosticationの訳語として「占筮」が誤訳とか不適切と申し上げているわけではない。ただラブレーのPrognosticationとノストラダムスのPrognosticationとは、自分のなかで少し違ったニュアンスがあるので機械的に同じ訳語を充てるのはどうかという疑問である。

ブログ記事のなかでsumaruさんはPrognosticationを辞書的に調べており大変参考になる。が、それはあくまでもPrognosticationという単語の語義に過ぎない。もちろん外国語であるからひとつの単語に対して一義的に訳語が決まるというケースはそれほど多くはないだろう。よって用いられている文脈において一番しっくりする訳語を選択するほかはない。だからこそこの辺りが個人的な語感の範疇に入ってくるのは全くご指摘の通りである。渡辺氏が当て字として用いている「占筮」、ここでは単に「占い」でもいいが、「ノストラダムスのPrognostication」という場合に、著作のタイトルとして「ノストラダムスの占い」という呼び方がぴったりフィットするかどうかに尽きる。

> 4.の意味合いが強いはずですが、日本語の場合、「予測」といってしまうと1.の意味合いが強い一方、4.の意味合いは薄くなってしまうようにも思います。

これはPrognosticationを切り取った場合の見方で、意味合いからすれば確かに、「占星予測」と訳すべきかもしれない。そうなるとAlmanachのほうは「占星暦」ということになろうか。ただしそこに「ノストラダムスの」という言葉を伴うと、現代ではノストラダムス自体に占星術師の総称を意味する用法もあったはずで(手元に辞書がないのであやふやな記憶なのだが)「ノストラダムスのPrognostication」を「ノストラダムスの予測」と訳出すれば自動的に4.のニュアンスも入ってくるのではないかと勝手に考えている。同様にAlmanachについても「ノストラダムスの占星暦」と訳すのでは意味が二重になり、少々くどい感触があるので単に暦でいいという気がする。

もっともこれを無理やり押し付けようとか、sumaruさんに喧嘩を売ろうとか(笑)、そんな気は毛頭ないのでちょっとした問題提起になればと、とりとめのない雑感を記したに過ぎない。
[ノストラダムス]

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