ノストラダムスの伝記に見るアドリエット
2009-08-03


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一般的なノストラダムスの伝記では、1530年代に最初の結婚をしたが妻と二人の子供を流行病で失ったとされる。日本の解釈本ではその妻の名前がアドリエット・ド・ルーブジャックと紹介されることが多い。大事典の記述にあるように、マッキャン、レオニ、レイヴァー、チータムら英語圏の研究書では、アドリエットという名前がスカリジェの若妻と混同したものであることにわざわざ言及している。では何故日本でこの誤った名前が流布してしまったのか。以前HPでも書いたが、日本で最初に予言者としてのノストラダムスを紹介した黒沼健氏が、『謎と怪奇物語』53頁でこう書いている。「ノストラデムスが美しいアドリエット・ド・ルーブジャックに会ったのは、黒死病流行地に献身的な治療の旅をつづけていた時のことだった。」この記述がそもそもの出所で孫引きされていった。

ではどうして黒沼氏が伝記にアドリエットなる名前を持ち出したのだろう。これもソースははっきりしている。黒沼氏の参照した伝記はヘンリー・ジェームズ・フォアマンの"The story of prophecies in the life of mankind"(人類の生涯における予言物語)である。その177-8頁にAdriete de Loubejac(アドリエット・ド・ルーベジャック)がノストラダムスの妻の名前として紹介されている。フォアマンの本の初版は1936年、何を基に伝記を書いたか巻末の参考文献を見ると、先ごろ紹介したジャン・ムーラとポール・ルーヴェの『伝記』であることが判明した。フォアマンが『伝記』を誤読したに違いないと該当ページを見てみると、67頁にこう書かれている。「スカリジェは・・・1520年にはアジャンで司教の座に就いていた。かの哲学者は美しいアドリエット・ド・ルーベジャックを愛して妻とした。」

どう見ても誤読のしようがないのだが、恐らくフォアマンはかの哲学者がノストラダムスを指したものと勘違いしてしまった。フォアマンの本はわざわざ副題に「ノストラダムスの神託の完全分析を含む」と入っているし、1940年代の英語圏のノストラダムスブーム以前にポピュラーな解説書だったために、これを孫引きするものが多かった。そのため特に後年輩出した英語圏の研究家たちが敢えて注意を促したのだろう。その影響が日本でずっと残ってしまったというのも驚くほかない。解釈者の本のみならず、海外の邦訳書、チータムやトゥシャールの本でも原書にない余計な注釈を追加する始末である。
[ノストラダムス]

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