『「若きゲーテ」研究』に見るノストラダムス
2017-02-17



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先の記事でゲーテの『ファウスト』を調査している途中で『「若きゲーテ」研究』という本をGoogle Booksで見つけた。奥付は、昭和9年(1934)1月25日発行 著作者 木村謹治 発行所 伊藤書林。表題に「五百部限定版」とある。学術研究者向けの専門書といった趣きである。ダウンロードしてみるとなんと960頁の大著。著者は東京帝国大学教授の文学博士で、緒言によると『若きゲーテとその時代』なる表題で昭和4年から6年にかけて東大文学部で行われた講義の原稿をまとめた。ノストラダムスに言及のある『ウルファウスト』の部分は大正13年秋の講義原稿をもとに改稿したものだ。

ウルファウストとは聞きなれないが最初の形におけるゲーテのファウストを指す。非常に専門的で、表記が歴史的仮名遣いを使っていることもあり、とても全部に目を通すことはできない。参考書目を見るとドイツ語の研究書ばかりが12頁にわたりずらりと並んでいる。当時は国内での先行研究が乏しかったためだろう。幸い本の末尾に索引がついているのでNostradamusに関わる部分を参照することができる。『ウルファウスト』の10箇所でノストラダムスの名前が見いだせるが、どのように扱われているのであろうか、ここに書き写しておく。(一部漢字の書き換えを行っているのをお断りしておく)

問題はファウストの自然とノストラダムスの神秘書との関係である。切なる自然への憧憬に続いて、何うして突如としてこの秘書がファウストの念頭に浮かび上がって来たのであるか。(851頁)

ファウストが自然への憧憬の念をノストラダムスの秘書に移した動機として、コリン氏は以上のようにSage(注:伝説)に対する詩人の態度にその原因を帰すると共に、他方に於ては詩人が『自然』の内に含まるる概念を巧みに利用したことを挙げてその動機を是認しようとしている。即ちノストラダムスの『魔書』の中に含まれる天文或いはアルヒミーも、ゲーテの当時の意味する自然と並んで同じく大きな意味の自然中に入るべきものであるというのである。(855頁)

そのモティーフをこの言葉に結合せしめようとする学者もあるが、それが必ずしも必要でない事はコリンの云うが如くである。この『逃れよ、いざ』の句と共に、ノストラダムスの書を新しき工程の友として選ぶ事が続くのであるが、それは彼が第一段の最後に於て定めた目標に至るべき手段として取られた第一階梯である。・・・この工程の第一歩に於てノストラダムスの秘書を手にしたことは非常に興味がある。・・・故にこの際彼が手にとったノストラダムスの書は、彼のたましいの相を假托する方便の書にすぎない。(856頁)

故に既にこれまで幾度も読んで熟知しているノストラダムスの書といえども、かつてはその『干からびた思索』によっては、何等の解決も理解ももたらさなかったのであるが、今やその中に含まれる符号も『聖なる』力を以て彼の目に新たに映ってくる。・・・例えばシューレルはファウストがノストラダムスの書を手に入れたのは一体何時であるかという疑問を重大に取扱っている。彼の見るところでは、この第三段の独白はファウストがこの書を初めて開くのであることを予定している。(858頁)


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[ノストラダムス]

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