先に紹介した『超能力事件クロニクル』を読み進めると、ノストラダムス以外の項は近過去の超能力者を取り上げていることで、検証という意味では著作、新聞、雑誌、テレビ出演などさまざまな資料で裏付けを得ることができる。そのため文章の構成もその当時の時代背景からその後の顛末といった流れで展開されており読後もすっきりする。ところがノストラダムスは日本でブームになったということで1970年代の超能力事件に分類されてしまっている。超能力者的な予言者の扱いということであれば黒沼健が1952年に発表した「七十世紀の大予言」を皮切りに1960年代に何度もノストラダムスについて紹介している。黒沼は自著のなかで五島勉の1999年人類滅亡という解釈について1973年に新説が出たと述べている。ノストラダムスは16世紀フランスに生きた人物であるから伝記や著作に関して残された資料は少ない。そうした観点からすると確実にこうだという確証もなかなか難しいところがあるし、どうしてもモヤモヤした感じが拭えない。
特に著者にケチをつけるつもりはないのだが、公刊されたものなので気になるところを指摘しておこう。1973年の五島のベストセラー本と比べるとほとんど読まれていないであろう電子書籍版にでてくる、アヴィニョン学生時代のモトゥールの話を紹介している。もちろんこれが五島得意のフィクションであるのは自明なのだが、モトゥールについてこう解説している。
モトゥールが当時なかったというのは五島が再三語る定番ネタの一つだが、モトゥールは元々「動かすもの」を意味する語で、9世紀から15世紀を対象とするフレデリック・ゴドフロワの古語辞典にも載っているため、明らかに嘘である。(同書185頁)
ここには「嘘」と書いてあるが、嘘とは「事実に反する事柄を故意に表明したもの」というイメージである。果たして五島が故意に誤りを書いたのだろうか、それはご本人でなければわからない。当初は単に思いつきで書いた勘違いかもしれない。その後1985年に出版された『1987年 世界大戦を予告する悪魔のシナリオ』118頁で訳者の淡路誠が五島のいうモーターという解釈についてこう批判している。
つまり、ここでいうmoteurとは、ラテン語のmovere(「動かす」の意)から派生したもので、「物を動かすもの」から「モーター」という意味が、また「人を動かすもの」から「支配者、主導者」という意味が生じたことを五島氏はは知らないようだ。
おそらく五島はこの本は読んでいるだろうから、それを承知でその後もモーターの解釈を変えなかったのは事実である。五島を特に擁護するつもりはないが、自分で書いたものはたとえそれが周りから間違いを指摘されても見解の相違だと強弁したくなるのは誰しもあることだ。五島が中期フランス語の辞書を調べた上で「当時まだこの世に存在しなかったモーターという語を使ったノストラダムスは、今日の機械文明を見通していた」というのであれば嘘と言い切れるかもしれないが、そうでなければ客観的には勘違いあるいは見解の相違と見ておくのが無難である。
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